伊達正宗と真田幸村の意外な関係・・・
■正宗と幸村の意外な関係・・・
幸村には多くの子がいたが、嫡男の大助(真田幸昌)が生まれた時には既に九度山へ幽閉されており、幸昌は大坂城にて子を作らぬまま自害、この系統は絶えた。
しかし、ここに真田幸村と伊達政宗とを結ぶ意外な関係が・・・・
実は、次男の大八(真田守信)は、伊達家重臣で後に三女阿梅の夫となる片倉重長の元で姉達とともに保護され、後に元服し片倉守信となった。
片倉家に託された守信に関する幕府の調査は執拗で、伊達家は時に偽証まで行い、片倉守信として亡くなるまでその事実を隠し通しました。
なお、片倉姓から真田姓に復したのは守信の子・辰信の時である。
以降、公式に残る幸村唯一の家系・仙台真田家として現在も続く事となる。

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